先ほどテレビを観ていたら、アイススケートの安藤美姫さんの特集をやっていました。
安藤美姫といえば、4回転ジャンプが代名詞。でも、実は5年間も試合で飛べていません。
そして肩の脱臼や足の怪我・・・実は僕も両肩共に脱臼経験があります。「外れるかもしれない・・・」という恐怖感と戦いながら、成功率の低い(転ぶことが多い)4回転を飛び続けるのは、非常に精神的につらいと思うのです。
最近は肩間接周辺の筋肉を鍛えることで、外れにくくするようにトレーニングを積んでいるようです。リンクで滑ることよりも、リンク外でトレーニングをする彼女が思ったことがあるといいます。
「リンクで滑ることが当たり前なんだ、と今まで思っていた。今は、リンクで滑らせてもらっている、演技させてもらっている、という気持ちに変わりました。」
引退を一時考え、コーチと話し再度チャレンジしよう!と決めた安藤美姫さん。活躍を、見守ろうと思いました。
『当たり前』ということ
普段、何気なくやっていることを、当たり前といいます。しかし、この当たり前、というのが以外とクセモノです。
テニスでミスをしたとき、「うわっ、何だよ。最悪!」となることがあります。でももし、ミスをすることが『当たり前』だとしたら、そんなこと思うでしょうか?
ミスしないで、相手のコートに入れるほうが多い。だから、ミスしたときに「何だよ」って思うんですよね。
もし、相手コートに自分の打ったボールが入ることが『当たり前』ではなく、そのことを『感謝』できれば、ひょっとするとミスをしたときの気持ちも変わるのかも知れませんね。
ところで、ボールを打つ動作って、自分の意識で全てコントロールできますか?目をどうやって動かして、膝をこの角度に曲げて・・・なんて考えてたら、ボールは自分の横を通り過ぎているでしょう。
すると、自分の意識でもコントロールできない、身体自身が動いてくれているのですね。このことも、『当たり前』と思うのか、「良く動いてくれているね」と労うのか・・・身体が思うように動いてくれるのは、果たしてどちらの人でしょう。
さておき、そんな自動的に適切に動いてくれる自分を「ありがたいなあ。」と、感謝できるとすると、コートにボールが入るのを「当たり前』だ、なんて思わないでしょう。
「良く今のボールを返せたな。すごいな!」
「そんなショット、練習でも打ったことないのに、オレってすごいな!」
そんなふうに、できている自分に感謝ができるようになると、「自分は何かに動かされているような気がする」っていう感じを持ちます。それを、『当たり前』と思えば、できていない自分に、腹が立つだけなんです。
うまくできていないときに腹が立つのは、『当たり前』なことに感謝が足りないのです。
朝起きて、「ああ、見える!今日も目が開けれて幸せ!」
おいしいご飯食べて「おいしい!ご飯が食べれて幸せ!」
仕事をしていて「人のために働くことができる!働くって、幸せ!」
どうしても幸せと感じることができない人は、1分間、息を止めてみるといいでしょう。
1分後に「息が吸えて、幸せ!」となるでしょう^^
空気があるのを当たり前と思うか、健康であることを当たり前と思うか、日本に生まれたことを当たり前と思うか・・・
小さなことですけど、『当たり前』を『感謝』に変えると、世界は変わるのかも知れませんね!