繰り返される悲劇
NHKで『繰り返されるペットの悲劇』という番組をやっていた。飼い主やペットショップの都合で、行き場のなくなった犬の殺処分が問題になっている、というものだ。
ドイツでは、犬を保護する舎がたくさんあり、犬の引き取りを希望する人がいても犬との相性や犬を死ぬまで面倒をみれるかという観点で何度もチェックされ、ようやく引き渡すようだ。また、生後8週間を過ぎないと親元を離さないという法律に対し、日本は特に定めはない。
日本とドイツでは、動物の命に対する見方が違うのを感じた。行き過ぎた商売魂が、そこにあるのではないか。
しかし、このようなことはペットビジネスだけではないと今の日本をみて思う。お金を使う側と、お金をもらう側の都合で起こる社会の歪を、最近はよく感じるようになった。
誰が被害者なのか?
それは、お金を持たず、お金を持っている人の意思にゆだねられる者。
家畜、飼われている生き物など・・・。
そして、ひょっとすると、子どもも被害者なのではないか?
そんなことを考えた。
子どもたちを対象に商売をしている我々は、その点を良く考えなければならないだろう。そうはいっても、塾やスポーツに関わる部分をボランティアに頼る時代ではない。日本こそ、そういう考えの元から脱皮しなければならない。
ペットの問題について、ドイツから学べること、それは、『個々の利益優先』からの脱却である。各事業者が、事業全体の利益を第一に考えて行動することが求められる時代が来たのを感じる。
これまでの時代は、各事業者が各々の経営努力によって利益を生み、それによって事業全体の利益増につなげる、という考え方であった。しかし、その考えでは事業全体も、そして各事業者も、立ち行かなくなる時代が来たのだ。昨今のニュースをざっと思い返せば、思い当たる節があるのではないか。
まだまだ事業者としては駆け出しの自分だが、なぜか自分の元にはこれからの時代を先見でき得る情報が来るし、縁がある人も先を見通せる千里眼のようなものを持つ方が多い。
僕は、世の中はどんどんよくなっていると思うし、これからも良くなり続けるものと思っている。大人よりも子どものほうが、後に生まれるのだから、単純に考えて、より優れていると僕は思っている。その子どもたちにふさわしい社会を築くのが、我々大人の使命なのではないか。
うまくいかないこともあるが、これからも信念に基づいて行動していきたい。そして、同志をつくっていきたい。
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