ゲームとしてのテニス

錦織圭くんがオーストラリアンオープンで大活躍しました。準々決勝はNHKが番組を変更して生中継を放映したり、特番を組んだりと、一気にメディアにテニスが脚光を浴びましたね。

試合後の夜のNHKで、試合を取り上げながら、相手サーブのゲームを取る『ブレーク』を説明していました。テニスを競技としてやったことがある人なら多分知っているブレーク。これが取り上げられたことが非常に印象に残りました。

ブレーク(相手サーブのゲームを破る)とは、サーブレシーブのルールから、サーブの優位性を取り上げてそのように呼ばれること。決められたルールを守るからこそ生まれるものです。



日本は過去、『スポーツ』を『体育』という、教育の一貫として扱ってきました。そして、働き盛りの間は仕事に没頭し、年を取ると健康のために軽く運動する…そんなイメージではないでしょうか。

『体力』や『精神』に意識が行きやすい形です。そうすると、どうしても、上を目指す!ということに焦点が当てられます。もっと体力をつけて…とか、メンタルが弱くて…ということです。

しかし、スポーツは、『ゲーム』です。ゲームとは、ルールのある遊びのことなのですが、昨今ではテレビゲームのゲームの印象、つまり、あまり好ましくない遊びのイメージになっているのではないでしょうか。

スポーツを本来のゲームとして見ると、ルールの中で自分の『今』もっている力を使い、工夫して取り組む=試合をすることです。上を目指す、というのは、取り組んだ結果、もっと練習が必要と実感することに他ならないと思います。

体力がない子はない子なりに、器用な子は器用な子なりに、それぞれの良さを活かして全力を尽くす。それが、スポーツと思います。


話を戻しますと、メディアで、ルールを説明する機会が増えて行くことは、ゲーム性が高い(それゆえ複雑でわかりにくい)テニスを普及するためにはとても良いことだと思います。

メディアは今、原点に戻りたいという意識が高まっているそういった社会を反映しているのではないでしょうか。

過去には当たり前と思われていたことに、なんで?どうして?と、疑問に思うことが多い世の中。そんな今だからこそ、ルールやマナーなど、テニスのもつゲームとしての面白さを伝えることが大切かもしれませんね。

これから私も、ゲームとしてのテニスを楽しんでいこうと思いました(^-^)


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