2013.4.15 体罰

今日も皆さん、有難うございました。日々の指導のおかげで、こどもたちや大人の方、自信を持ったり、何かに気づいたりして、人生のより素敵なものにしていけると思います。


なんでも、悲しいことに僕の母校の中学校では、顧問の先生による体罰がいまだにあるそうです。

体罰を受けた生徒と家族は、学校や教育委員会に言えば良いのですが、それができない理由があるのです。

それは、言うことによって顧問の先生が異動になったりすることを嫌う生徒の家族からの避難を受け、いわゆる村八分になるようなのです。

それが現状である学校は結構あるような気がします。


だいたい、体罰のある顧問は成績を残している先生のようです。その先生は、弱小チームだったその中学を強豪に育てた経歴があるそう。

だから、体罰を容認しながら、こどもの成果、あるいは心身の強さ?のために、その先生を支持する方もいるのです。


人は顕在意識から潜在意識のポケットに落とし込むことで覚えたことを定着させます。自転車に乗れるようになったら、しばらく乗ってなくても、乗ることはできます。これが潜在意識のポケットに入った状態です。

これを繰り返すことで上達していくのですが、このポケットに入れる方法は2つ。

一つは習慣にして継続すること、そしてもう一つは恐怖を与えることだといいます。

習慣はわかりますね。インターハイに行きたい!そんな思いが、早朝練習へとかきたて、毎朝の習慣となります。その習慣の中から、反復による新しい気付きや効率化が図られ、パフォーマンスをアップさせます。

恐怖というのは、怒られたくない!という意識が働き、良くも悪くも、行動をパターン化してしまい、それをポケットにいれてしまう。

習慣というのは、目標が明確で本気で目指している人にとっては必要だからやるのですが、ご存知の通り、習慣とは言うはやすし、ですよね。

いろんな意識の子が集まる部活(だけではないと思いますが)を約2年という短期間で育てる単純な方法が、恐怖を与えることと、無意識に定義化されているのでしょう。

やはりこれも成果主義の功罪です。

それに、周りもその体罰する先生が理解できる、その良さもある、というのも問題です。

スポーツとは本来、その本人の意志で楽しむものです。原点は気晴らしであり、がんばらねばならないものではないのです。

今日は大学の教授ともスポーツとこどもの話をしたのですが、その先生も同じことを言っていました。

我々も気をつけなければなりませんね、体罰はしないまでも、行きすぎた指導でスポーツの本質を忘れがちなってはなりませんね。そうしないと商売にならない、というのは、間違っているし、認めてはなりません。

スポーツって、楽しい!そんな、人の応援をするものであるということを忘れないでいたいものです。


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